教育目標 | 柔軟な思考と多様な教育活動を展開し,知・情・体の調和のとれた人間性豊かな児童の育成をめざす ☆自ら学び考える子 へのリンク ☆他をおもいやる子 ☆自然の美しさを大切にする子 |
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所在地 | 広島市南区元宇品町7番10号 | |
電 話 | 電話 082−251−4877 FAX 082−252−2633 URL http://www.motoujina-e.edu.city.hiroshima.jp |
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設立年月日 | 昭和23年5月17日 | |
学校長 | 岩村 欣治 | |
教 頭 | 川本 訓生 | |
PTA会長 | 万治 英明 | |
教職員数 | 校 長 教 頭 教 諭 初任者配置校指導教員 養護教諭 事務員 業務員 給食調理員 ふれあいひろば推進員 特別支援教育アシスタント 英語指導アシスタント |
1名 1名 6名 1名 1名 2名 1名 3名 1名 1名 1名 |
児童数 | 1年生 2年生 3年生 4年生 5年生 6年生 合 計 |
12名 8名 11名 14名 17名 18名 80名 |
沿革史 | 元宇品町は,広島の南方海上の小島で,古くは「牛寝島・牛奈島・氏名島」と呼ばれていました。当時島の周囲は約4qで,記録によると,1600年ごろに人が住み着いたものといわれ,明治の末頃までは,人家が島の東側に集結していたということです。 明治以後,安芸郡仁保島字宇品島として,宇品港が栄えるにつれて,島の様相は,大きく変化しました。特に戦争による影響が大きく,日清戦争以後は,軍港として大陸出兵の根拠地になりました。 「空も港も夜は晴れて,月に数増す舟の影。はしけの通い賑やかに,寄せ来る波も黄金なり」と人々に愛唱されたこの歌は,ここ宇品港の情景を歌ったものといわれています。 学校教育は,古くは明治7年に観林舎として増設されました。 明治17〜18年頃に「松坂家」の座敷を教室にしていたという記録が残っています。明治24年,江村岡(現在の小学校の下,アパートの所)に仁保島村立宇品尋常小学校が設置され,30余名の4年生までの複式学級でスタートしました。 その後,昭和14年に町の中央(現在の元宇品会館の所)に,宇品小学校の分教場(4年生まで),後に元宇品分校(6年生まで)となりました。 現在の元宇品小学校は,昭和23年5月17日に地元の方が神さん松と崇拝していた大山(現在地)に創立開校しました。 |